長野オリンピックがもたらした負の遺産

長野県でオリンピックが開催されましたが、1998年に日本で2番目となる冬季オリンピックが開催されました。オリンピックが残したオシャレにもならない負の遺産の数々って知っていますか?今回は、長野オリンピックがもたらした負の遺産を紹介していきます。

・イノシシも通らない閑散とした道路網です。首都圏と直結する交通網を有する松本市とは異なり県庁所在地である長野市は、首都圏と直行する交通網を持たず、陸の孤島とも呼ばれていました。1998年オリンピック開催を機に長野市では、この課題を解決する為に、大規模な交通インフラ整備を推進する事になりました。この時の公共事業の増大は、県内の建設業に大きな利益をもたらしましたが、その後の公共事業の縮小から数多くの企業が倒産を招いて、持続的な経済効果を後世に残すことはなかったのです。

・施設の後利用が進まない大規模競技施設です。スピードスケート会場のエムウェーブ、アイスホッケー会場のビックハット、フィギアスケート会場のホワイトリングなどオリンピック開催を機に、長野市内には多くの競技場が親切されましたが、夏季冬季を通して、後利用の状態は、当初計画を下回り、多額の施設維持費に公金を投入せざる得ない状況にあります。

・環境との共生における課題です。1972年札幌オリンピック時に問題視されたアルペン競技コースにおける環境保全問題は、長野オリンピックでもダウンヒルコールのスタート時点の設定で大会直前まで大混乱したように、再び環境と共生が大きくクローズアップしました。その他にも色々なものがあり、大きな反対運動も呼び起こったといわれています。

実際にかなりの税金が使われているのですが、その後に使う事ができないママの状態で負の遺産になってしまっている状況となっています。オリンピックが開催されるとなると様々な整備が必要となってきますが、その後に利用する事が出来る場合には、問題ありませんが、負になってしまう状態では税金がもったいないと感じますよね。